“赤裸々” | |||||
11月28日でcainoya城山移転から無事、9周年を迎える事ができました。 ブログにログイン出来ずに報告が遅くなりごめんなさい。 そして、11月の営業を無事終えました。 掲げた目標の、前年超えと500万の売上も見事にクリアする事ができました。 一先ず、9周年の日に書いた文章を。 この地で10年目。 ほとんどの飲食店が3年、5年続かない下手したら1年持たない時代に10年目を迎えられることに感謝してます。 繁華街を出ていつか城山の麓にリストランテをやりたいと思っていて出会っ新築の物件。 その話を持ってきたのも智子。 何度もオーナーさんを食事に招待して想いを伝えた。次は銀行。 貯金積み立てゼロだったけど、当時の担当者が物凄く熱心で、鹿児島にリストランテを‼️という夢を通してくれた。 サポーター優待券という独自のシステムで同年代の沢山のお客様から支援して頂いて自己資金として借りた、その2400万円ももうすぐ完済するけど、どんなに大事に使っても店はガタが来てる。遅くとも2年以内にゼロから改装したいと思ってるし、出来ると思う。そしてもう2.3000万も借りたくない。 当時事業計画書には客単価1万円のリストランテで書いたんだけど、周囲の誰もが飲み食いして3000円の鹿児島で一万円なんて無理だと言われた。そう言われると逆に燃えるので「見てろよ」と思い今日まで突っ走ってきた。当時から日本中からお客様を集めてみせる。と思い、やっと今年それがカタチになってきた。そして次はアジア、世界。 そんな一万円じゃ無理と言われたレストランもいつしか客単価は2万、3万と上がっていった。 そのために厨房やお皿やグラス、備品にかなりの投資を続けてる。それでもまた来たいレストランになるしかないのだから。 もし、都会の様にオープンして間もなく繁盛していたら今のスタイルにはならなかった、これだけの人と繋がらなかったと思う。昔のブログなんて読みたくもないけど、とにかく自分を知って欲しくてアピール、発進し続けてきた。嫌なことも見た人が気分悪くなることもかなり書いた。 それも自分。 転機は、何年前だったか、スタッフ2人を同時に解雇した。勝手なことをされてストレスを抱えるくらいなら智子と二人でやった方がマシだと。 そこからスチコン、ショックフリーザーを活用した1人厨房の自分との格闘の日々が始まった。当然最初っから思い通りには行かない。苦しさの中から生まれたシステム。 赤字が続いても催事に出て行くことで人がい会いに来てくれて、会いに行って、益々人脈が広がった。 そして専門料理誌への掲載。 あれで一気に僕とcainoyaの名前が全国区になったと思うし、同時に日本中から批判も浴びるようになった。 でもそれは注目されているということ。有名になるきっかけはたまたまマシンだったけど、僕のベースは畑と土。 そしてガストロバック。 順風満帆ではない。 やりたいことをつらぬく為には食うための仕事もお金も必要。 支払いばかりが増えていくけど売上がない。そうなると些細なことで喧嘩ばかり。しまいには唯一の理解者でありスタッフだった智子も店を去り完全に一人になってしまったけど、潰すわけには行かないから這い上がってきた。そして智子が帰ってきた。 今回もまた色々な事件があり三たび??一人厨房へ。 さらに僕は強くなった。 さらなるシステムを確立しつつある。全ての、出て行った、ツバを吐き、暴言を吐き、暴力を振るってきた奴等を見返してやろうというハングリーさを忘れたことはない。 2015年はスタッフも増えますし、新店舗も考えてます。現時点で人を育てる気はない。自分で精一杯。 出来る人間、僕をリスペクトする人間を集めてスキルアップさせて行こうと思っています。自分の食い扶持は自分で稼げ。 2015年は世界へ。 先ずは2月にシンガポールでフェアをする事が正式に決まりました。 4月の◯◯はお誘い待ち。 6月のイタリアも正式に決まるのを待つ。鹿児島から世界へ。 世界基準の店へ。 1月はBini × cainoya 3月はMOTOI × CINQ × cainoya コラボもどんどん、やっていきたい。 そして、僕らやお客様が関わる人達がワクワクするようなお店へ。 一応、52歳でやめると決めたわけで、残り10年、楽しんでいこうと思います。 両親、美咲、智子、momo。 cainoyaに関わる全てのヒトに感謝してます。 これからも宜しくお願いします。
by cainoya
| 2014-12-02 00:33
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